#15 自分にないものを探さない

対人援助職として

「ないものねだり」より「あるもの磨き」

「小さな悟り」のこの章に

苦手なことは、いくら頑張っても上達しない。「苦手を克服しよう」とするのは、一見、立派なことのようですが、あまり意味はありません。苦手は苦手のままにしておいてもいいじゃありませんか。苦手なものは得意な人に任せればいいのです。

その能力の「ある」人と比較して、自分には「ない」ことに劣等感や恥ずかしさを覚えるのだと思います。何かの能力が欠けていても、得意なものはあるはずです。「ある」能力に目を向けましょう。「あるもの磨き」の方が楽しく生きられるし、結果も出せます。

若干省略してますが、このような内容があり、半分賛成、半分反対です。

なぜなら

  1. 「苦手なことはいくら頑張っても上達しない」事はないと思うからです。
  2. 「苦手を克服しようはあまり意味はありません」も意味はあると思います。
  3. 「ある能力に目を向け、あるもの磨きが楽しく結果も出せます」も大切と思います。
「苦手なことはいくら頑張っても上達しない」事はない。

苦手意識をもつ理由があると思います。

教えてくれる人が苦手だたり、好きになれなかったりする。

楽しく好きになれる教え方で学ぶと、上達することはありますよね。

「苦手を克服しようはあまり意味はありません」も意味はあると思います。

苦手に感じるものからすぐに逃げる思考になりやすい気がします。

苦手から上達の仕方を経験する事は、その後の経験と人生を豊なものにしていくと思います。

大切なのは「押し付けない」「能力の上達だけに意味があるわけではない」「やれるところまでやってみたい」とチャレンジと失敗の経験から多くのことが学べることだと思います。

「ある能力に目を向け、あるもの磨きが楽しく結果も出せます」も大切と思います。

「ない」と「ある」ことへの目の向け方に問題があるのではないかと思います。

「ない」への目の向け方が自己否定になりすぎたりする状況に陥ってしまう経験は多くの方にあるのではないでしょうか。

また、楽しく好きになれる教え方やチャレンジから学べる雰囲気が不十分であっても、ゆるやかでも上達しているのに、「ある」と比較して「ない」自分に悩んでしまい、諦める傾向が増えているように思います。

時には逃げることも大事な時があると思います。

ですが、最初からみんな「ある」を実感できないはずで、小さな「ある」を育てることには「楽しい」だけではない事も多くあり「磨き」とは楽ではないプロセスが多いですよね。

「好き」が、他の人には「大変そう」「難しそう」「疲れそう」なことでも、「楽しい」「磨き」と感じれたり、達成感や成長を実感できるのだと思います。

楽しくだけで磨いたつもりの出た結果で味わう達成感とは違うと思うし、視野の狭い成長になってしまうのではないでしょうか。「ある」能力に目を向け「あるもの磨き」には、そういう意味が含まれているのだと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました