行きすぎた我欲は身をほろぼす
「小さな悟り」より
人から嫌われ、孤立無援にならないために
「野心」という言葉は、意外といい意味で使われることも多いようです。大きな望みを抱いて、大胆不敵に新しいことに挑戦する、というイメージがあるのでしょう。
しかし、そうでしょうか。私は「野心」と聞くと、不穏なものを感じます。辞書によると「山犬や狼の子は山野を忘れず、人に飼われても慣れ親しまないで、飼い主を害しようとする荒々しい心を持つ」ことに由来するそうです。私が感じる「不穏なもの」の正体は「害する」というところにあるのかも知れません。
例えば「人を蹴落としてまで、出世しようとする」とか「自分のやろうとしていることに苦しむ人がいようとも意に介さない」「人を騙してでも、自分が利益を得ようとする」といった人が抱いているのが「野心」だと思うのです。
手段を選ばずに欲しいものを手に入れたところで、人間の生き方としてどうですか、という話です。人に害を与えれば、悪因悪果で自分自身をも害することになります。人から嫌われ、信用を失い、孤立無援になるでしょう。野心のために、生きるうえで大事な多くのものを失うのです。これはとても恐ろしいことです。
これは難しいなぁ
そこまで「害する」イメージを持っていなかった自分がいます
ポジティブに解釈しすぎていた
意味を改めて確認してみて、伝え方や使い方も気をつけないと
「害する」イメージも受けとる人がいるんだろうなーと思った
自分はいい意味で野心は必要と思っているところがあったから
許せない考え方への怒りと
いつか変えてやる
という野心
それもどうだったのだろうと考えてしまう
古い慣習との戦いに挑戦する
いつでもどこでもあると思う
時代の先を見る力と変化し続けることと
手に入れたものを守ろうとして今を守ろうとすること
古い慣習をぶっ壊して迷惑を感じる人もいて「害する」と感じる事があるのかも知れない
けど
今を大切に考えるのか
未来を大切に考えるのか
誰のことを大切に考えるのか
どこに軸足を置いて行動するのか
未来の若者たち、子どもたち、孫たち、その子孫たち
そいう繋がりも大事に考える野心もあっていいのではないか
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