「小さな悟り」から
なぜ、見栄を張ってしまうのか
- SNSを人生の舞台にしていませんか。
- SNSでちょっと不用意な発言をすると、たちまち大勢から非難の声が殺到する。
- 最近はそんな”炎上事件”をよく耳にします。
- 逆に、少し自慢できるようなことを紹介すると「いいね」が矢のように降ってくるという現象もあります。
- そのせいか、さまざまなSNSツールを駆使して、自分の日常を不特定多数の人にひけらかすような人が増えてきました。例えば、「あの店の料理おいしかった」「有名なパワースポットを旅して元気になりました」などなど自慢話のオンパレードです。
少し身に覚えあるなー
自慢話したかったのか
- 根底にあるのは「自分を少しでもよく見せたい」「みんなに羨ましがられたい」という気持ち。それでは結果的に自分自身を見失います。
- 人生の舞台はSNSではないのですから、等身大の自分自身を出せばいい。それが自分を大切にする賢い生き方というものです。
自慢話をどこかでしたいと思っているのか・・・全くないとは思わないが
等身大の自分を出すようにしている
Facebook、YouTube、Instagram、Twitter、ブログ、それほど多くの人に見てもらう欲はない
義務的に投稿していないが、続けていると
どういう内容を投稿すれば、再生回数、閲覧件数が増えるのかはわかってきた
それが目的ではないので、件数に縛られることはない
Facebookは、古くからの友人や遠い知り合いとの繋がりを大切に「生きてるよ」のメッセージ
YouTubeは、動画撮影や編集を勉強して、仕事や今後の計画に役立てる目的があるから
Instagramは、活用方法が今はなくほぼ使っていない
Twitterは、何年も使っていない
ブログは、仕事、趣味、日記などを通して、まずは文章を書くことに慣れたかたった
そして、記録として何かをまとめたいという考えがあったから
まずは、なんでも書いて書いて継続して経験することが目標だから
なんでも経験してみることは面白いし、経験を話せるので話題にできる
youtubeは、登山動画やスピーカー紹介動画などは1000回再生行くんだなとびっくりしているくらい
古い余興用のダンス動画は3000回行きそう
だから、あえて再生回数が増えないだろう等身大の動画を多く作ってみて、撮影や編集の練習している
このブログも、最近は「小さな悟り」から99ある悟りを題材に、日記的に自分の考えを加えて、文章を書く練習のつもり
コラム記事を書く機会があった頃は、日常の出来事を普段なら見過ごすことにスポットの当て方、視点を変えることで見えてくる発見を書き出すことを練習していた
仕事と直接関係ないようでいて、かなり役に立ったと思う
それは、物事を多面的に捉える力、文章を書く力、要点をまとめて伝える力、表現力や語彙力、遊び心、続けることで気づくことが多いことや諦めない継続力、などなど
誰かに知ってもらうためではなく、誰にみられていなくても、自分のためにやっていること
いつか役に立つために、等身大で頑張ればいいと思っている
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