読みやすくとても分かりやすかった
ここ数年読んだ「ネガティブケイパビリティ」とか「オープンダイアローグ」など
専門書っぽくがんばって読む印象もあったけど
興味深くスラスラ読めた
エクササイズを通して自己体験を振り返りながら読めるので
客観的に知識を学びつつ
主観的思考を巡らせ気づきを感じながら学べました
家族関係や友人関係、職場の人間関係などを思いながら
相手のことに想いを巡らせたり
自分の感情を見つめ直したり
NVC(非暴力的コミュニケーション)の基本を再認識しながら・・
「観察」相手の言動、自分フィルターを通して観察しがち
自分のフィルター通さない事実を観察
「あの人は気が短い人」は自分フィルターを通した評価であって観察ではない
いつ、どこで、誰が、誰に、〇〇と大声で怒鳴ったという事実
「感情」「感情」と「思ったこと」との違い
「大声で怒鳴る気が短い威圧的な人」は評価であって感情ではない
「あの人に対して私はこう思う」と感情を表していると勘違いしていることが多い
あの人の言動でそう思ったのはどんな気持ちからか、自分の感情に目をむける
「ニーズ」言葉や表面的にニーズを捉えていないか
「観察」「感情」を捉えられなくて相手ニーズも自分ニーズも誤解してしまう
本当のニーズに目をむけること
「リクエスト」人はして欲しくないことを求めがち
〇〇しないで!勉強しなさい!→しなさいはリクエストではない
選択を相手に委ねて、その後の言動に苛立ってしまう
「観察」「感情」「ニーズ」をよく見つめて、して欲しいリクエストをする
本質、背景、本当のニーズ、内面に息づいているものに目をむけることも大切で
ソーシャルワークなどを学んでいると理解しやすい内容だった
特に権力を持つ人にどう思われるか考えるように教育される
道徳的人間観について
正義と悪が存在し、善悪があり、基本的に利己的で邪悪はよくないと、その存在を刷り込まれている
違反にならなければ悪ではない?という考えが生まれやすい
時代とともに道徳や法律も変わっていくもの
善悪、正しいと間違いを整理しようとする
それに対しいろんな意見、反対意見、不服が出る
グレーな部分は常にあるもの
立場や文化や価値観の違いで対立し争ったりする現実は多い
そもそも教わってきた道徳は正しくないのか?と思わされる
道徳や司法に対する疑問を持つ視点も必要かなと思う
自分が何を求めているか明確にしているか
非生産的な会議は多く経験する
学生の頃など先輩に、親に、先生に、「義(文句)を言うな」とよく耳にした
意見をすることは場を乱す、力のある人の言うことは聞きなさいと受け止めることが多かった
尊敬の念を持ってとにかく一生懸命やってみなさいと
本来はいい意味で経験してみて学びなさいとか
一度口にしたら筋を通し信念を持ってやりなさいといった意味が込められていたように思う
しかし、人は都合のいいように便利に使ってしまうのが常ではないか
ただ「文句を言うな」と、黙って言うことを聞いて頑張る人ができる人と刷り込まれる
引っ込み思案で思うことはあっても意見を言わない
思うことはあるけど、自分の意見に自信がない
考える力を鍛える機会を奪われて育つ
社会人になってもそうやって育ってきた大人が
「観察」「感情」「ニーズ」「リクエスト」ではない力で若者のチャンスを奪っていないだろうか
パワハラとか言葉ができて長い年月が経ってもなくならない
自分がそうだと思わないからいつまでも他人事でなくならない
気づくためには少しずつでも何を求めているか伝えられる環境や人を育てていくことは大切
賞賛や褒め言葉が評価として有害
「素晴らしい」「よくやった」「優しい人だね」「優秀だよ」
肯定系の決めつけが、非人間的に扱う裏返しになる
肯定を強調すればするほど、否定の存在も大きくなる
そう言われると確かにと思う
表もあれば裏もあり
光があれば影もある
褒め言葉は有害としていいものか
「褒めて育てる」「褒めて伸びるタイプ」
よく耳にするようになったけれど
ある種の操作、手段であって心からの感情ではないものも溢れる
一定の効果を評価してそれに多くの人が飛びつく
本質としての心の繋がりは育たないことになり
「褒めることに期待すること」がひとり歩きを始める
効果がある、効果がない
賛成、反対
新しいキャッチーなものがまたひとり歩きを繰り返し
対照的な存在を意識化させていく
そんな社会を作っていくだけではないか
失敗することを楽しむ
正解を出すことが良いこと
間違うのはよくないこと
褒美を与える
罰を与える
そうやって教育を受けることは多い
人と違う意見を言うこと
人が受け入れられないようなことを言うこと
雰囲気を悪くする
空気が読めない人とレッテルが貼られる
よくないこととして刷り込まれる
正解を出そうと暗記したり
空気を読もうと人目を気にしたり
そんなことに力を注いでいると
自分なりに意味を考えたり考察する力が育ちにくい
見直されてきているのかもしれないけれど疑問は多い
失敗から学ぶことが多い
失敗しなければわからないことの方が多い
そもそも失敗は失敗ではなく素晴らしい経験
それなら人が失敗と思うことも
楽しんで経験する方が素晴らしいのではないか
共感とは
共感は大事と思っている人が多いかもしれない
現実は効率や結果が重視されるから
人手が足りなくて余裕がないから
とても難しいし不十分と思っている
それでも効率よく努力を求める
知性による理解や分析で補おうとする
けれど違う
同じ感情を持つことでもない
相手と共に居ること
最後に
この本を読んで、改めて気付かされることも多い
この本との出会いや繋がったご縁に感謝です
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